K アミ セラピ
最新の記事
カテゴリ
最新のトラックバック
以前の記事
2019年 12月 2019年 02月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2017年 11月 2017年 09月 2017年 06月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 09月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 10月 2015年 07月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 01月 2014年 10月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 04月 2013年 12月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 05月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
なぜか最近テレビで目にすることが多くなったカッパドキアの奇岩群が
いきなりバスの前方に現れると 自然に”ほおおお~!” と声が上がる 当然だが 日本では決して見られない光景だ 降りて 私も人様同様 デジカメでぱちぱちしてみるが 大きな風景は 全然撮りきらないので あっさり あきらめる あきらめて 伸びるアイスクリームに走る アイスに 山蘭の根や茎を混ぜると このような粘りがでるらしい 山羊のミルクなので 一瞬鼻につくが いくら手に持ったままブラブラしていても 垂れないし そのうちおいしくなってくる カイマルクの地下都市は 発掘されているものの中では大きく 整備もされている この地には まだ手つかずにおかれている地下都市が無数にあるのだという 地下8層まであるが 見学可能なのは4層まで 深く掘り下げられ 網の目のように広がる巨大な洞窟部屋空間は 近郊の別の地下都市とも トンネルで連絡していたという 吹き抜けの通気口があり 台所 家畜小屋 ワイン製造所もある ここカイマルクには 約6千人以上の人が暮らしていたといわれるが 実際大変だっただろう 小柄な私が身をかがめて歩いても2,3回 頭をぶつけた あの暗い狭い通路の向うから 血まみれのエビさまが歩いてきたら コワい・・ ローマ帝国から迫害されて この地まで逃げてきたキリスト教徒らが隠れ住み 礼拝所や学校跡なども作り 残されているが この地に もともと無数にあった地下洞窟を 彼らが再利用したともいわれている では なんのためにこんな深い地下空間が存在したのだろう? 一説では 地球上でかつて核戦争が行われた際の 生き延びた人たちのシェルターだったとも言われている このくらい深く潜まなければ 放射線を防げなかったという う~~~~ん 目の当たりにすると そうかもしれないかもしれないかもしれない・・・ という気もしてくる 「風の谷のナウシカ」 も浮かんでくる う^^^^^^^ん・・・ ”ゴチッ!!” また 頭をぶつけた きのこ岩 ![]() 地下都市内 ![]() #
by kami-therapy
| 2010-12-07 20:03
![]()
私達を載せたバスは 地中海沿いを次第に離れ
内陸のアナトリア地方 カッパドキアを目指して走る その道筋は 途中 昔のシルクロードとも重なっている 当時 シルクロードを旅した商隊は 道筋に沿って30~40キロごとに建てられた、 「サライ」と呼ばれる宿舎に泊まりながら 旅を続けた 多くの貴重な貿易品をもたらす商隊を 国は厚く保護し 1か所のサライに 2日間までは無料で宿泊飲食できたという その現存しているサライの一つを 外から見学したが 建物自体が高い城壁に囲まれていて さながら要塞のようである やっぱりこれくらい堅固でないと 夜中に荷も馬も盗まれますわな・・・ ひとしきりサライの説明をし終えたトルコ人現地ガイドの ムヒさん、 喜太郎の「シルクロード」のCDをかけ始める (ムヒさん、かゆみも止まりそうな強面の渋メンなのに 意外とロマンティスト ちなみに バスのドライバーの名前は ムーミンさん、 平和な谷の村に連れてってくれそうな気がする ) 喜太郎を聞きながら バスはシルクロードを走り 私は 随分以前に旅した中国 西安を思い出していた 西安の 西の門を出る時 ガイドさんが言った ”その昔 絹の道を旅する人たちは 皆この門から旅立っていったデス” そして 街からしばらく離れたところで ”ここが 旅人達を見送ってついてきた人たちと 先へ旅する人たちが別れた場所デス” 「なごりが尽きずに とうとう ここまで一緒に来てしまいました が ここでもう お別れせねばなりません 友よ 遠く行くあなたが無事であることを この柳の枝を折り 私はお祈りしています」 という詩を聞かせてくれたのを 思い出した 現代の ”じゃあね~ バイバ~イ” とゲートに消えていくあっけない別れとは 比べ物にならない 旅の別れの重さである そうだ 昔 長安と呼ばれた あの都と 今 走っているこの道はつながり そして一昨日 後にしてきたイスタンブールやイズミールの港町へと続いたのだ 何という 距離だ 飛行機で13時間かいなと ヒイヒイ言っている私達は なんだ 「覚悟」 が ないんだな・・・と思う 旅立つ覚悟 見送る覚悟 進む覚悟 待つ覚悟 現存する サライ ![]() #
by kami-therapy
| 2010-11-23 22:20
![]()
翌日は 古代都市遺跡群のエフェソスへ向かった
ここは ギリシア時代小アジア最大の都市国家だったという スゴい人だ 英語 ドイツ語 フランス語 日本語 諸々語が飛び交っている 途中 猫(どこにでもいます)の写真を夢中で撮っていて あやうく迷子になりかけた 神殿 病院 図書館 浴場 公衆トイレ(男性用 必ず誰かが座って写真を撮っている) 跡などがあり これが世界遺産になっていないのが不思議だ 野外劇場は その最上階段に座ると怖いほど 大きな半円形のすり鉢型だ すり鉢の底のステージだった場所で 他の日本人グループの女性が りっぱな声量で「赤とんぼ」を歌って 拍手を浴びていた 確かに 上段まで肉声が響く 素晴らしい音響効果だ (音響効果への拍手だったのだろうか?) この大劇場に続く 広い港通りを(当時は海岸が迫っていた) 船から降りたクレオパトラがアントニーと共にパレードしたという 二人の新婚旅行の地である そういえば以前 この地で クレオパトラの妹の霊廟らしきものが発見されたと聞いたことがある 政権争いに負けた妹は エジプトからここエフェソスまで逃げのび 修道院に身を潜めたが 何者かに暗殺されている その霊廟が もし彼女のものであれば その遺骸から生前の顔を再現し 姉であるクレオパトラの素顔をさぐってみよう という試みだった できたCG映像は ”あら・・・そうなの?” て感じのものだった 私が勝手にもっているクレオパトラのイメージとは違ったからだ エジプトは アレキサンダー大王の死後 彼の家臣であったプトレマイオスによって治められた そのプトレマイオス朝の最後の王女が クレオパトラだ だから私のなかでは 彼女はエジプト顔でなく ギリシア系の美人なのだが そうではなかったので ちょっと意外な気がしたのを覚えている また 今回 見ることはできなかったが この地には聖母マリアの家もある キリストの死後 使徒ヨハネに伴われてマリアはこの地で亡くなったといわれている ほんとうに 石の文化のすごさを感じた 古代の登場人物達が歩いた石畳を 私達は今 また同じように歩き 彼らが寄りかかった壁の前で 記念撮影をし 何万人の人が座っただろう石の階段に 腰かけている 私達は 決してとどまることが許されず 時と共に瞬く間に消えていくのに 石は長くその形をとどめながら やがてゆっくりと土に帰っていく どちらが地球の住人なんだ? 私達って 地球の「借り暮らしのアリエッティ」 なんだな と思った ![]() #
by kami-therapy
| 2010-11-16 22:37
![]()
出発してからの長い1日が終わり、アイワルクのホテルに到着
この街はエーゲ海沿いのリゾート地で 夏の別荘が並び立っているが 今はシーズンも終わり 静かにひっそりしている おかげで 全員 海側の部屋に落ち着くことができた 白いバルコニーに出ると プライベートビーチが眼下に見下ろせ 波の音が心地よい ![]() エーゲ海と さわやかな風と 夜空に浮かぶ満月近い白い月・・・ ~タラララララ~~NNNN~~AAAA~~~~ いったい この夜 何人の人がバルコニーでジュディ・オングしたことだろう #
by kami-therapy
| 2010-11-09 18:25
![]()
13時間のフライトの後 トルコ イスタンブールに着いたのは まだ暗い夜明け前
バスに乗り込み マルマラ海沿いを走る車窓から 美しい朝やけと 大きな空と地平線と海を 飽きるほど見ていても まだ飽きない 昨日までは 雨交じりの天気が続いていたそうだ なんだか お天気女神に歓迎されてる気がする フェリーで ダーダネルス海峡を渡ると トロイへ向かった トロイといえば トロイ戦争 トロイ戦争といえば 木馬 ということで お約束の木馬が立っている あまりに観光的な・・・と嘆きたくなるが ここで発見された財宝をシュリーマンが持ち出してしまっているので 気の毒な気もする 遺跡は何層にも重なっているため まだまだ発掘されていない部分が多くあるが それでもトロイ戦争時代の城壁を含め 紀元前数千年からの都市跡がうかがえる世界遺産だ そもそも トロイ戦争は なんで起きたか? ホメロスが書き留めた 伝説「イリアス」 によれば・・・ ある宝物をめぐり 女神ヘラ、アテナ、アフロディテが 美を競い合うことになった 史上初の ミスコンであろう そして 審査員の先生に選んだのがトロイの王子 パリス (なんで? こんな若造に聞くのだ!?) その際 三人ともビミョーに自信がなかったのか 取引を持ち出す 自分を選べば ヘラ、アテナは 力や勝利を アフロディテは世界一の美女を 彼に与えると約束したのだ パリスは即座に アフロディテを選んだ (若い! 青い! アホい!) アフロディテは 約束を守った が、 その時代 世界一美しかったのは スパルタ王の妻 ヘレンだった アフロディテの子分 キューピッドに矢を射抜かれたヘレンはパリスと恋におち 手を携えて トロイに逃げ帰ってしまう そこで ギリシャ連合艦隊は大軍をなしてトロイを攻め 10年にもおよぶトロイ戦争が始まったという ここで ブラッド・ピットのアキレウス登場 パリスの兄の勇将ヘクトルを倒すが 彼もその後 アキレス腱を射抜かれて死ぬ (アキレウスは半神半人で不死身だったが アキレス腱だけが急所だった ちなみに 弁慶の泣き所は向こうずねだった) そんなこんなの10年戦争を終わらせたのが 木馬作戦だった 逃げ延びたトロイの子孫が その後ローマ帝国を築いたため 歴代のローマ皇帝達は トロイを祖国としてしばしば訪ねたという しか~し ヘレンがいくら美人でも そのために10年も戦い続けはしないだろう 美人は3日で飽きるというじゃないか・・・ ガイドさんが言う ”このトロイは 当時の帆船にとって欠かせない 風を待つ要所だったのです” そうでしょ?そうでしょ! 決して美人争奪の戦いではなく 地の利を得るための戦争だったのですよね よしよし どうも私は 美女のために歴史が動いた式の物語が 欲得のごまかしのようで好きでない・・・ ・・・・・いや、美人へのやきもち でなく・・・そうでなく・・・ ただ・・・ちょっと・・・ひがんでますが それが何かっ!? ![]() #
by kami-therapy
| 2010-11-03 22:54
![]() |
ファン申請 |
||