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身近な者が 逝った
目の当たりに見せられる「死」を前にすると 私たちは 「生きること」 を考えさせられる 間違いなく この人生にも終わりの日は来て いやがおうにも すべてを置いて 住まう世界を変えねばならない それを ひどいとも 切ないとも思わないが その日までを ほんとうに 生きた といえる時間にすることが どうしたらできるだろう と考える 期限のあることを知ってはいるが 見ないふりして 今日を 昨日の続きの明日の準備時間のように 無意識に過ごしていたことに気づかされる この肉体が生き延びることが すべての目的かのように 魂が求める 未知の経験や リスクをかけたチャレンジにもしり込みして いつの間にか 安穏無事だけを祈っていたことにも気づく 残されたそれぞれが それぞれなりの想いを得るのだ ひとが一人 逝くことは まわりの人間にこんなにたくさんの気付きを置いていくものなのか ひとは 生まれるのも 逝くのも すごい存在なのだと思う これからの生き方に この気づきが活かされることがあるとしたら それが 逝ったひとへ出来る 私たちからの 本当の供養となるだろう (あるスピリットの言葉) 人間は墓場を乗り越えて 生き続けます 人間も 本来は霊だからです 火葬の炎さえ その霊を滅ぼすことはできません 物質の世界はもとより いえ、霊の世界の何をもってしても そのひとの内に宿る神性 この世に生をうけることによって賦与された生命の炎を 消すことは できないのです ![]()
by kami-therapy
| 2010-05-06 22:16
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