K アミ セラピ
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KアミセラピのこれまでのHPに加え 新しいスタイルのHPが できました。 そちらでのブログは 院長ネコのGitaが担当しており サロンでの日々をネコ目線でつづっております。 そちらも時々のぞいてみてください。
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by kami-therapy
| 2019-02-09 14:23
![]() 10月 父の弟である叔父が逝った なので先月は 月始めと終わりに2回九州に帰省することになった 叔父と父は 本当に仲の良い兄弟だった どこか仙人風の穏やかな父と、どこかちょい悪風の憎めない叔父と 生まれ育った台湾の昔話で酒を飲む二人の姿は誰が見てもいいものだった そういえば、うちの母は、父との見合いの際 仲人さんに ”誰にやいてもいいが、弟だけにはやきもち焼くなよ” と くぎをさされたそうだ その母が50代で父を置いて逝ったとき 葬儀が終わり、親戚がみな引き上げても 叔父は残り 縁側に寝そべって煙草をふかしながら いつまでも帰らなかった その時は分からなかったが、 叔父は黙って父のそばにいたのだろう 何を話すわけでもなく ただそばにいてくれたのだろう その叔父が 兄貴を置いて先に逝ってしまった 父は車椅子でかろうじて通夜にでたが 翌朝 なかなか起きてこないので様子を見に行くと ベッドに腰かけて胸をおさえていた 父は左足に義足をして生活してきたのだが 最近は重い義足を装着するのも大変なようだ 手伝おうか というと、 ”今日は わしは行かんでもいいかな・・・” と言う ”腰が痛くて座ってもおれんし・・・ 写真(遺影)見てると 人がおらんかったら声出して泣きそうになった こんな のさん(つらい)もんかなあ・・・” 父が 自分のつらさや悲しさを表現するのを 私ははじめて聞いた 姉と私で出席した葬儀から戻ると 父はひとりで茶の間にいた 少し治療しようかと誘うと いつになく渋る 私は開業してから帰るたびに父の施術をさせてもらってきた それしか 私にはできないからだ 父もそれを察してか いつも素直にうけてくれた けれどその日は立ち上がるのもしんどかったようだ それでもベッドに移動して治療を始めた 整体で腰の治療をして 乱れ打っている脈を 何とか整えようとやっていると いつか父は寝入っていた ふと見ると 目の周りに涙の跡がある ひとり茶の間に座り 叔父を見送っていたんだな と思う もしかして 荼毘にふされながら 叔父も茶の間に来て 父と語り合っていたのかもしれない 兄と弟 それ以上に 人生の戦友 失った穴を誰にも埋めることはできないが 父は 少し持ち直し 淡々とした生活に戻ってくれつつあるようだ photo by Keigo・Y いつも素敵な写真を提供してくださっているKeigo Yosidaさんの2019年カレンダーが出来ました 楽天ラクマで photo-Keigoオリジナルカレンダーで検索ください /rakuma.rakuten.co.jp/home/ #
by kami-therapy
| 2018-11-13 13:18
![]() 縁あって 1冊の本を読み始めた 「水」をテーマに、化学、地球の歴史、神道「古事記」との関わりなど 広く深く水についての研究が網羅されている 身近では、水素水、還元水、オゾン水、海洋深層水などの活性水の違いが 私など とんと説明できないできたが それも章をさいて説明されている 中でも ”そうでしたか!!” と思わず隣にいた院長ネコの頭をたたいて納得したのは 「第4の水の相」の章 水には 個体(氷) 液体 気体(水蒸気)の3相(三つの状態) があることは 誰もが知っている ところが水には第4相(排除層)があり この部分は電気的にマイナスを帯び 同時にプラスも発生するので 水自体は中性でありながら電荷の分離が起きて 体内電池ができるのだ 細胞内の水は第4の相であるので 私たちの身体のほとんどは 第4相になり電気をおびることになる その体内電池は光(赤外線)のエネルギーを充電しながら働く そして 光を受けプラスとマイナスに帯電するなかで反発するため流れが起きる この流れが身体を駆け巡って 身体の循環を助けている ガッテン! ガッテン! です これまでいつも ”気って何ですか?” と聞かれると私は 「体に流れてる微弱な電流みたいなもんですかね~ 私たちの身体の血管は地球2回り以上してしまう長さだし 毛細血管なんて どこッ!? ってくらい細い それが こんな小さい心臓がパフン!としたくらいで 足の先まで行ってた血液が心臓まで戻れると思います? そこに一定方向に流れる潮の流れのような電流があって 身体の末端から心臓や肺まで ”ただいま~”って戻ってこれるんですね~ 磁気ネックレスが一時的でも効いたり、最新の医療機器で体のすみずみまで 調べられるのも電気を帯びているからですよね 東洋医学では、気血がめぐっていれば病も痛みもない!って言い切ってるのは 循環し続ける水は腐らない 少々問題が起きても水に流せるってこと その循環させているエネルギーが気だと思います」 と、 自分で感じていることをでっち上げた説明をしてきたのだが、 同じことがもっと学術的に、洗練されて書かれていることが嬉しかった なにより、こんな説明をしてきたにも関わらず 身体のどこで電気を発生させ、どこに蓄電しているのだろう? ということは分からないままきた 疑問があるのに 調べようとしてこなかったのは 私が 「勉強嫌い」 だからだ 急がない疑問は持ち続けていれば 必ずいつか答えが落ちてくるさ~ この愛すべき 楽観さ、のんきさ、に 見事に答えが降ってきた そう! 体内の「水」の中で起きていたのだ 本の中では 「水の第4相は エネルギー変換装置である」と簡潔に書かれている これはもう、かわいい院長の頭でも思わずたたいてしまうでしょう! 他にも 水には情報を転写できること 劇薬を服用しなくても 薬の効用情報を転写した水を飲むことで 薬と同じ効果が得られ しかも水であるから副作用もない この夢のようなシステムが可能であることは 現在の医療に絶望しかけた私たちには光明だ また 私たちになじみ深い古事記の神々の水の御はたらき そして私たちヒトは水をまとった神であること 読めば読むほど深い内容がつつまれた本だった 「ウオーターデザイン」 和器出版 神戸 Kアミセラピ k-ami.net #
by kami-therapy
| 2018-10-22 14:40
![]() 数日前 施術中電話が鳴った ”はい、Kアミセラピです” 男性の声で ”あ、初めて電話します ○○と申します” ”・・・・・!!” すぐに 理解した ”あの もしもし 家内がお世話になりました〇○と申します・・” ”あ はい、すみません はい・・・” ”あの~実は・・・4日前に・・・ですね・・” 声が詰まり 長く続く沈黙に 私から切り出した ”逝かれたんですか・・?” ”あ・・はい、そうなんです 4日前に逝きました ノートに、必ず先生にご報告入れるようにと書いてあったので・・・ でもすぐにご連絡できず すみませんでした” 亡くなって4日目だ 落ち着く間もなく連絡くださっている。 ”家内が生前 いつもそちらから帰った日は 明るくて 身体も気持ちも軽いと よくおしゃべりしてくれて・・・ 必ずお礼を言ってくれと言われてたんです 遅うなりまして・・” ご主人は知らなかったようだが、 その10日前くらいに ご本人から電話をもらっていた 声もとぎれとぎれで ”今は退院して家ですが、ホスピスの手配もできました もうアミさんへ行けない・・んですが・・・ お礼を言いたくて・・・・” 患者さんもそばにいて 私はどんな言葉で返事をしていいか分からなかった 何度も経験したはずの、覚悟をした方との会話 うわすべりな励ましもとりつくろいも通用しない 最後の会話 いつも私はどう話してきたのだろう? 察したのか ”それでは・・” と切ろうとするその方に 私の口をついて出たのは ”でもね! 私は まだあきらめられないんですよ 薬で叩かなければ ○○さんはまだ生きてける 今でも そう信じてるんですよ” ”はい・・いつもそう言ってもらいました・・ね・・ ありがとうございます・・・” そして 電話はきれた もしそこに一人だったら 私は ほんとは何て言いたかったんだろう? 代わりに ご主人に伝えた ”奥さんとお会いできて、いろんな話をした 私にとっては とてもとても いい時間でした お会いできてうれしかった ありがとうございました” ”家内も 同じことを言ってました 本当にありがとうございました” 去年の5月 初めて電話をもらった 「半年と余命宣告を受けてますが 予約受けてもらえますか?」 「はい、どうぞ」 軽く受けた気がする 治るとか治らないとか 私が判断することではない その方の免疫をあげることに集中して 例えば 肩こりや腰痛をどうにかするだけでも その方の大切な1日は すこし軽くなる 施術と水素吸入の組み合わせで 2週間に1回 少しづつ 肝臓腫瘍の縮小がみられてきて 肌荒れが消え 顔にツヤも出てきた ご本人も ”こんなことも あるんですね~” と驚いていた 喜んだのは医師も同じで 抗がん剤が 良く効いている 今 一気に叩きましょう! その方の免疫力は高かった 抗がん剤で叩かれても叩かれても 白血球数は回復する するとまた打たれる 最後は治療もその副作用の症状を軽減するのに追われた気がする 化学療法から離れてみることも考えないかと 話した 医者のほとんどが 自分がガンになれば使わないといっている抗がん剤を なぜこうも次から次に これがだめならこれと試してくるのだ?! 「この抗がん剤でダメなら 先生もあきらめてくれると思います」 それが最後の入院だった 病院や医師を責めているのではない ただ 薬を使わないという選択も 治療法のひとつに 加えてもらえないだろうか? その選択をした患者さんの経過も 変わりなくみてくれる体制を つくってもらえないものだろうか? ホスピスのように 死ぬのを待つというイメージの所ではなく 生きるために 薬を使わない治療を行う場所 が できないだろうか? ”院長、 いつもモンプチくれたあの方と この世でのお別れだよ” モンプチの袋を開けながら その方の 残された猫たちのことも ぼんやり思った Kアミセラピ k-ami.net #
by kami-therapy
| 2018-08-27 16:14
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